そして高野山へ
家を出たのが午前9時半で、丹生都比売神社に到着したのが11時過ぎだった。
約2時間の道程。さすがにお尻が痛くなっていた。
ゲルザブとか考えないと、ロングツーリングは無理みたい。
今、2日後の火曜日だが、まだお尻が痛い。
約2時間の道程。さすがにお尻が痛くなっていた。
ゲルザブとか考えないと、ロングツーリングは無理みたい。
今、2日後の火曜日だが、まだお尻が痛い。
丹生都比売神社の参拝を済ませ、バイクを発信させたのが11時45分ごろ。
ここから高野山の大門までは15km程度。40分もあれば到着できるだろう。
ここから高野山の大門までは15km程度。40分もあれば到着できるだろう。
最後までこんな道が続くと楽なのだが、そうはいかない。
西高野街道も他の道も、レーシングコースと勘違いしているような車やバイクで悩ましいのだそうだ。
確かに途中、黄色のセンターラインを平気で越えて反対車線へ飛び出し、追い越していくバイクが何台かいた。
自分の責任でやるのは構わないけど、自分だけの責任で終わらないところに気付いてほしい。
▼センターラインを越えて、前の車を追い越すバイク(危なかった)
大門、壇上伽藍、金剛峯寺へ
山上の大門に近づくにつれて、どんより感が増してきた。
いくら暗くなってもいいので、雨だけはやめてくれ!って祈るばかり。
大門の大きさは半端ない。
これだけの大きさの山門は高野山以外で見かけることはない。
いつも山門や鳥居前でバイクの写真を撮るのだが、今回は収まりきれない。
▼大門
ここからさらに東へ走り、まずは壇上伽藍に向かう。
前回、高野山に来たのは昨年の正月だった。
妻と二人で電車で来たのだが、その時はまだ建設途中だった中門。
この完成した姿を見てみたかったが、やはり感動した。
▼中門
そして中門を通って壇上伽藍に入ったら目の前に金堂、左奥に御影堂、その前には三鈷の松、右奥には根本大塔、さらに奥には不動堂など、目を奪われる建物がいくつもある。
▼金堂(結縁灌頂の垂れ幕がかかっている)
▼御影堂
▼三鈷の松
▼根本大塔
▼不動堂(国宝)
前回は、大雪の後に来たので、雪景色の中のこれらの建物、特に根本大塔の朱色が綺麗だったが、前回は歩き回ることが叶わなかったのでリベンジした気分だ。
この日を含め三日間、金堂では「結縁灌頂」なる歴史ある儀式が行われていたが、詳細は割愛することにしたい。
この後、金剛峯寺にも寄って「南無大師遍照金剛」を唱える。
内部の拝観は前回に済ませているので、ここでは本堂外から燈明と線香をあげて奥之院へ向かう。
▼金剛峯寺
この後、金剛峯寺にも寄って「南無大師遍照金剛」を唱える。
内部の拝観は前回に済ませているので、ここでは本堂外から燈明と線香をあげて奥之院へ向かう。
▼金剛峯寺
「ありがたや 高野の山の 岩陰に 大師はいまだ おわしますなる」
この御詠歌は、比叡山延暦寺座主であられた慈鎮和尚が詠んだ歌らしい。
空海(弘法大師)のライバルともいえる最澄(伝教大師)が拓いた比叡山のトップがこれを詠むとは驚きいるばかりである。
実際にここに来れば、お大師さんは今も生きて、我々を見守って下さっているような感じがする。
それは御廟の前で一心不乱に般若心経を唱えるとき、その気持ちがピークになる。
不思議としか言いようがない。
ところで、奥之院と言えば、戦国武将はじめ多くの人々の墓や供養塔があり、その雰囲気は荘厳そのもの。
▼浅野内匠頭と大石内蔵助以下、赤穂浪士の供養塔
奥之院一橋から御廟までの道は長いが、ショートカットもできる。こちらの方が大きな駐車場が完備されている。
▼浅野内匠頭と大石内蔵助以下、赤穂浪士の供養塔
奥之院一橋から御廟までの道は長いが、ショートカットもできる。こちらの方が大きな駐車場が完備されている。
このショートカット道沿いには、最近は、大手企業社員物故者の供養塔なども増えてきたみたいだ。
シロアリ駆除の会社が建てた「シロアリよ、安らかに眠れ」(だったかどうか、文言は正確には覚えていないが)なんかの供養塔などもあった。
シロアリ駆除の会社が建てた「シロアリよ、安らかに眠れ」(だったかどうか、文言は正確には覚えていないが)なんかの供養塔などもあった。
奥之院は御廟の橋以降は聖域である。写真撮影は禁止、もちろん脱帽が必要。
しかし、その橋の上で記念撮影をしている外国人らしく観光客が多いことに閉口する。
彼らにとっては、ここも巡礼ではなく観光なのだと考えると余計にストレスがたまる。
4回目の奥之院
さて、僕は1年と9か月ぶりにお大師さんに会いに来た
これでここを訪れるのは人生で4回目だ。
1回目は小学校の林間学校できた。この時は肝試しの場所としか覚えていない。
2回目は、四国遍路の結願御礼の時。
この時、納経帖に御朱印を頂戴するのだが、この時に「おめでとうございます。ご苦労様でした」と言ってもらえたことが今でもうれしい。
3回目は昨年の初詣に妻と来た。
そして今回が4回目。
さて御廟に着いた
南無大師遍照金剛と背中に書いた笈摺(おいずる)を着た団体さんが目に付く。
自身2回目の奥之院詣では、彼らと同じく四国遍路を結願したお礼参りだった。
▼一回目の四国遍路(平成20年)の時に買った笈摺。今でも愛用している。
先達さん以下全員で声を揃えて、「開経偈」「般若心経」「光明真言」などを唱えている。
▼一回目の四国遍路(平成20年)の時に買った笈摺。今でも愛用している。
先達さん以下全員で声を揃えて、「開経偈」「般若心経」「光明真言」などを唱えている。
僕も、このお遍路さんの読経作法は一通り暗記しているので、負けじと(無論、勝ち負けは関係ないが油断していると気が散るので、)大声で唱えることになる。
四国では88×2回(本堂と大師堂)で唱えてきた般若心経。
今でも、自宅の仏壇の前で唱えるし、墓参りでも唱える。
今でも、自宅の仏壇の前で唱えるし、墓参りでも唱える。
しかし、このお大師さんの御廟の前で唱える般若心経は相当緊張する。
これまでに何百回も唱えてきて、暗記している筈の般若心経なのに噛んでしまうことがある。
まだまだ修行が足りないのだ。と自分に言い聞かせている。
お大師さん、四国へ行ってきます
お大師さんがお生まれになった四国
1200年の時を超え、今でも多くの人がお大師さんの背中を追いかける四国
そして自分にとっては、札所を訪れて読経するごとに自分が変わっていくことを実感できた四国
色々個人的な事情もあって、二回目の遍路は2年間中断していたが、この秋からマジェスティとともに再開しようと思う。
仕事もあるので、2泊3日くらいの巡礼の旅を4回くらいやれば、結願できると考えている。
ただ、12月から3月くらいまでは天気との相談になるので、2回目の結願は来年の春から初夏を想定している。
待ちに待った時期がようやく来た。
待ちに待った時期がようやく来た。
追伸
大門に到着してから、壇上伽藍を経て奥之院(大師御廟がある場所)までの道を撮影したかったのだが、まずはお参りを済ませることが先決なので、全ての参拝を終えてから、つまり奥之院からの帰り道を撮影してみた。
(終点から入り口までの景色という事になる)
これもYou Tubeにアップしてるので、良かったら見てください。
(終わり)
最後まで読んで頂き有難うございました。