今週の巡礼ツーリングの行き先候補
週間天気予報が殆ど役に立たない今日この頃。
週末ツーリングを楽しみにしている者として本当に困る。
一方、気象庁に文句を言う筋合いのものでもない。
こんな状況下で考えた今週のプランは次の通り。
- 西国巡礼の続きとして30~32番札所(琵琶湖の東部)
- 一宮巡拝の一環として、伊賀・伊勢の2社(ともに三重県)
- 吉野~天川村アゲイン
- 高野山&丹生都比売神社(紀伊国一之宮)
そして天気予報とにらめっこ。
秋雨前線の影響か、天気予報が毎日変わるのでギリギリまで待って決めたのは高野山方面。
僅かながら他の地域より降水確率が低かったのが決め手だった。
高野山、特に奥之院は距離を歩くし、ここの石畳は滑りやすいので、雨が降らないというのは絶対条件。
そして高野龍神スカイラインは狭く細かいワインディングロードなので、雨が降るとやはり怖い。
したがって、本来であれば「晴れ」という予報の下で行きたかったが、10月中旬以降に四国遍路をバイクで再会する予定なので、その前にどうしてもお大師さんにご挨拶しておきたかった。よって、多少の天気の崩れは仕方ないと思った。
選んだルート
大阪から高野山に行く道は基本的に3通りである。
①かつらぎから国道480号線(西高野街道)
②九度山(真田親子の幽閉地)から国道370号線
③橋本から国道371号線
この中で、東大阪からの最短距離で行くと③が良いのかもしれないが、
高野山の前に丹生都比売神社に寄りたい。
となると、この①ルートしかいない。
先週の天川村へのツーリングの際にも通った「京奈和自動車」だが、京都から和歌山までいくつかのエリアで部分開通している。
今回通ることになった、橋本から岩出までの区間(紀ノ川の北側を東西に走る区間)も無料なので、①のルートを選択し、途中に丹生都比売神社に寄っても時間的にはそんなに遠回りにはならないことが判明した。
今回通ることになった、橋本から岩出までの区間(紀ノ川の北側を東西に走る区間)も無料なので、①のルートを選択し、途中に丹生都比売神社に寄っても時間的にはそんなに遠回りにはならないことが判明した。
丹生都比売神社
紀伊国一之宮と称する神社は3つあるが、丹生都比売神社はその中の一社である。
他には「日前神宮・國懸神宮」「伊太祁曽神社」があるが、この二社は既に参拝を終えている。
以前、和歌山に出張の時、この神社に寄ってから仕事に行こうとしたことがあったが、道中の渋滞のため、諦めたことがあった。
しかし、今回ここに行ってみて、「ついでに行く」なんてことをしないで良かったと思った。
寄っていたら、その時の仕事に間違いなく遅刻したという事。
京奈和道の「紀北かつらぎ」インターで降りて、少し西へ向かい、高野山へ向かう国道480号、通称「西高野街道」を少し上る。
その後、県道らしき田舎道を東へ向かうとこの神社はあった。
最後のT字交差点を曲がるとすぐに大型の観光バスが目に入った。
そして、朱に彩られたいくつかの建物も見えてきた。
そして、朱に彩られたいくつかの建物も見えてきた。
本殿には前述の通り4つのお社があり、それぞれ
第一殿 丹生都比売大神
第二殿 高野御子大神
第三殿 大食都比売大神
第四殿 市杵島比売大神
が祀られている。
第一殿 丹生都比売大神
第二殿 高野御子大神
第三殿 大食都比売大神
第四殿 市杵島比売大神
が祀られている。
第二殿の高野御子大神は、弘法大師を高野山に招いた神ということで、いわゆる狩場明神と同一の神らしい。
この神様は男の神様の様だが、他の本殿三神はその名の通り姫神である。
帰宅してからのサプライズ
以前から考えていたことだが、「次に高野山を参拝する時はこの丹生都比売神社にもお参りする」と決めていたので迷いはなかったが、このエリアのトレンドは間違いなく「九度山」であろう。
真田昌幸と信繁(後の幸村)親子が蟄居を命じられた場所で、NHK大河ドラマ「真田丸」において、先週からこの地での彼らの暮らしがテーマになっている。
その九度山にもいくつか行ってみたい寺社があるのだが、今回はこちらを優先した。
しかし、まさしくこの日の真田丸のエンディングにおいて、この丹生都比売神社が紹介されていた。何という偶然。
そういえば、先週の月曜日の朝、BSで「天河伝説殺人事件」というドラマの放送(再放送)があったが、その前日にその舞台となった天河大弁財天社に参拝させて頂いた。
こんなサプライズが続いているので、もう偶然とは感じなくなってきた。
こんなサプライズが続いているので、もう偶然とは感じなくなってきた。
そういえば、実はこのブログには敢えて書かなかったが、先週の天河大弁財天社に参拝した折、不思議な出来事があった。
天河大弁財天社に到着したものの駐車場が分からずに鳥居前を通り過ぎてしまった。
その際、弘法大師とお地蔵さんを祀った社があった。
何でも、天川神社の夏祭りの時に写した写真にお大師さんとお地蔵さんが写りこんでいたそうで、それを機会にこの場所にお社を建てたとの事。
その際、弘法大師とお地蔵さんを祀った社があった。
何でも、天川神社の夏祭りの時に写した写真にお大師さんとお地蔵さんが写りこんでいたそうで、それを機会にこの場所にお社を建てたとの事。
僕はこのお社の写真を撮った。
無論、お社の中のお大師さんとお地蔵さんのお像を写真に収める予定だったが、帰って写真を見てみるとその部分が光の陰で写っていなかった。
この写真を載せると問題があると思うのでそれはしないが、この光の陰はお大師さんとお地蔵さんのウエルカムメッセージだと思っている。
今回、高野山を目指そうとしたのは、その流れかもしれない。
(後編へ続きます)