「岸和田だんじり祭りが近づいてきた」
同じ大阪府なのに「ツーリング」って言葉は少し大袈裟かな?
でも片道で40㎞を超える距離なので、やっぱり「巡礼ツーリング」というカテゴリーで書くかな…
でも片道で40㎞を超える距離なので、やっぱり「巡礼ツーリング」というカテゴリーで書くかな…
なんて、大したことない話で悩んで、結果、「プチ」という言葉をつけてみることにした。
さて8月ももう終わり。
歳を重ねると時間が過ぎ去るスピードはますます速くなっていく。
歳を重ねると時間が過ぎ去るスピードはますます速くなっていく。
そして9月の声が聞こえてくると、一気に秋が近づいてくるような気がする。
まだ残暑は相当厳しいのだが、岸和田のだんじり囃子が泉州からの浜風に乗って東大阪まで聞こえてくる。(もちろん、気のせいだが)
まだ残暑は相当厳しいのだが、岸和田のだんじり囃子が泉州からの浜風に乗って東大阪まで聞こえてくる。(もちろん、気のせいだが)
今回はその岸和田のだんじりに縁のある神社を訪ねてきた。
▼大北町のだんじり(2年前に撮影)
▼大北町のだんじり(2年前に撮影)
「今や全国的に有名になった岸和田だんじり祭り」
大阪府内には数百台のだんじりが存在する。
私の住んでる東大阪市にも数十台のだんじりがある。駒がついていて祭礼などで地域内を曳き回す「山車」というカテゴリーで言うなら、全国には相当な数があると思う。
私の住んでる東大阪市にも数十台のだんじりがある。駒がついていて祭礼などで地域内を曳き回す「山車」というカテゴリーで言うなら、全国には相当な数があると思う。
しかし、岸和田のだんじりはその頂点に立つと言って過言ではない。
それは自他ともに認める事だろう。
特に岸和田旧市と呼ばれる現在の南海電車の岸和田駅周辺、そして春木駅の周辺地域で行われるだんじり祭りは、その盛大さでは他に類を見ない。
▼宮本町のだんじり(2年前に撮影)
祭礼本番二日間の動員数は60万人を軽く超える。岸和田市の人口の3倍の客が祭礼本番二日間でやってくることになる。
この60万人という数字は、日本三大祭の一つである、京都・祇園祭の2日間の見物客より多いという事になる。
▼堺町の大工方(2年前に撮影)
それは自他ともに認める事だろう。
特に岸和田旧市と呼ばれる現在の南海電車の岸和田駅周辺、そして春木駅の周辺地域で行われるだんじり祭りは、その盛大さでは他に類を見ない。
▼宮本町のだんじり(2年前に撮影)
祭礼本番二日間の動員数は60万人を軽く超える。岸和田市の人口の3倍の客が祭礼本番二日間でやってくることになる。
この60万人という数字は、日本三大祭の一つである、京都・祇園祭の2日間の見物客より多いという事になる。
▼堺町の大工方(2年前に撮影)
「岸城神社と岸和田天神宮を参拝」
私は大学生の時から、ほぼ毎年、この岸和田だんじり祭りを見に来ている。
10年位前までは9月14日・15日が祭礼日だった。
10年位前までは9月14日・15日が祭礼日だった。
ここでちょっと解説が必要になるのだが、現在は、神社の例祭日とだんじり祭りの日程は必ずしも一致していない。(カレンダーの都合で同じ日になることはあるが)
色々な事情があるのだと思うが、神社の例祭日は変わらず9月14日・15日で、だんじり祭りは、10年位前からこの両日に近い現在の敬老の日を含む三連休の前2日間で実施されている。
それで昔の話に戻ると、当時の15日は敬老の日だったが、14日は平日なのでかなりゆっくりと見物することが出来た。
しかし、前述の通りここ数年は連休に合わせてだんじり祭りが開催されているので、その人出はハンパなものではない。
しかし、前述の通りここ数年は連休に合わせてだんじり祭りが開催されているので、その人出はハンパなものではない。
さて、この9月中旬の連休で開催されるだんじり祭りだが、岸和田駅周辺地区(以下、岸和田地区)・春木駅周辺地区(以下、春木地区)で40台近いだんじりが曳行される。
これらのだんじりが宮入りする神社は、岸城神社(岸城町)、岸和田天神宮(沼町)、弥栄神社(八幡町)の3つで、今回はこの中の岸城神社と岸和田天神宮を参拝させて頂いた。
「岸和田だんじり祭りは迫力満点で見どころも多い」
泉州のだんじり祭りは岸和田市だけではなく、他の多くの地域で開催されているが、どこも勇壮であり、それぞれに見どころはある。
しかし、その中でも9月中旬の岸和田地区や春木地区の祭りは群を抜いており、さらにその中でも岸和田地区は見物の名所(つまり、それは「やりまわし」の名所でもある)が多い。
旧岸和田港交差点、通称「カンカン場」はハイスピードのやりまわしが観られるし、周囲の見物場所も広いので多くの見物客が訪れる。最近は観覧席もあるくらい。
カンカン場を岸和田駅の方に向かうと、北町(きたんまち)の交差点がある。
この北町交差点の通称は、左折(北向き)を小門、右折(南向き)を貝源と言う。
比較的広い道から狭い道へのやりまわしで、相当な迫力がある。
なお、この交差点は迫力があるゆえに危険なので間近で見ることは極めて困難である。
この北町交差点の通称は、左折(北向き)を小門、右折(南向き)を貝源と言う。
比較的広い道から狭い道へのやりまわしで、相当な迫力がある。
なお、この交差点は迫力があるゆえに危険なので間近で見ることは極めて困難である。
貝源から南に向かうとすぐに府道39号線の交差点がある。この通称は欄干橋。
この欄干橋を真っ直ぐ進むと堺町のS字カーブ、西(海の方角)に向かって右折し、次の交差点をさらに右折するとカンカン場に戻ることになる。
この欄干橋を真っ直ぐ進むと堺町のS字カーブ、西(海の方角)に向かって右折し、次の交差点をさらに右折するとカンカン場に戻ることになる。
「欄干橋を通り、堺町のS字カーブへ」
欄干橋の話に戻ると、貝源から欄干橋に進み、ここを真っ直ぐ南に進むと堺町のエリアに入る。
ここは岸和田地区でも最大のやりまわしの難所と呼ばれる「S字カーブ」がある。
実際にはSの字にはなっていないが、右折・左折が連続する曲がり角が入り口で、少し直線を走った後、今度は左折と右折が連続する交差点を出口となるエリア。
この迫力はたまらない。曳き手の全員の息が合わないと間違いなく失敗する。
やりまわしの失敗はとんでもない事故につながる。
しかし、ここを全力で通過していく男たちの気迫は言葉では言い尽くせない。
やりまわしの失敗はとんでもない事故につながる。
しかし、ここを全力で通過していく男たちの気迫は言葉では言い尽くせない。
「岸城神社への宮入ルートをバイクで走ってみた」
さて、祭礼最終日、本宮の朝は3つの神社への宮入である。
氏神様への感謝を表すために威勢のいいやりまわしを披露する最も大切な時。
氏神様への感謝を表すために威勢のいいやりまわしを披露する最も大切な時。
岸城神社へ宮入りする15台のだんじりは、全てこのS字を通って宮入のルートを駆けていく。
S字カーブの後は、「こなから坂」が待っている。
こなからとは「小半」と書く。まず、なから=半とは90度の半分の45度を指すらしい。そして小をつけて小半はさらにその半分。
つまり、角度22度の急坂のことをここでは「こなから坂」と呼んでいる。
こなからとは「小半」と書く。まず、なから=半とは90度の半分の45度を指すらしい。そして小をつけて小半はさらにその半分。
つまり、角度22度の急坂のことをここでは「こなから坂」と呼んでいる。
確かにこなから坂の最初の部分は急な坂である。
いくら数百人の曳き手がいるとはいえ、かなりのパワーを要するに違いない。
いくら数百人の曳き手がいるとはいえ、かなりのパワーを要するに違いない。
「そしてスピードを落とさずにいく、宮入のやりまわし」
こなから坂を上りきると、すぐに岸和田高校のグラウンドがあり、その手前でだんじりは右方向にやりまわしをする。このグランウドの向こうには岸城神社がある。
神様への感謝を伝えるに相応しい最高の技術のやりまわし。
まさしく「神技」である。
まさしく「神技」である。
そして、このやりまわしの後、岸和田城の周囲を通り、岸城神社に宮入を行う。
立派にやりまわしをして自身への感謝を告げに来ただんじりとその曳き手たちを岸城神社の神様(ご祭神は天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命)は微笑ましく見ておられるに違いない。
さて、この「S字カーブ」「こなから坂」「岸和田城周囲」等、一連の宮入りやりまわしルートをバイクで走ってみた。You Tubeにアップしているので、よかったら見てください。
この後は、「岸和田城」「岸城神社」「岸和田天神宮」で撮ってきた写真を見てください。
「岸和田城」
江戸時代は幕府譜代・岡部氏の居城であった。
現在の天守閣は昭和になって再建されたもの。別名は千亀利城。
紀州徳川家に謀反があった場合の抑えの城として、幕府にとって要衝であったと伝わる。
「岸城神社」
元々は岸和田城内にある神社で、別名は城にあやかって千亀利神社。
旧市の中でも15台のだんじりが宮入りを行う。
▼二の鳥居前で