聖地巡礼のバイク旅

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「寺社巡りツーリング」 西国札所 播州清水寺・花山院・中山寺(中編)



播州清水寺から花山院菩提寺へ


清水寺を出たのが午後2時半。思った以上に時間が過ぎた感じがしながら出発準備を急ぐ。
ここから花山院菩提寺までは、下道のみのルートで約25kmの道程。

雨が上がったので、さすがに山を下りると蒸し暑いだろうと思っていた。
でも、そんなこともなく、快適な道中だった。

 

田んぼの中を通っていくのだけど、やっとツーリングらしい道に出会えた感じがしてそれなりに嬉しかった。

それと「有馬富士」も綺麗だった。
標高はホンマもんの富士山の1/10しかないけど美しい山だった。

 ▼有馬富士
有馬富士

ちなみに郷土富士と呼ばれる富士山に似た形の山って日本全国にあるらしいけど、巡礼ツーリングの時に忘れずに見に行きたいところだ。
近江富士(滋賀県)、讃岐富士(香川県)、伯耆富士=大山(鳥取県)なんかもホントに美しい山だと思う。




花山院菩提寺に到着

 

花山院菩提寺に近づくと、あっちこっちで「花山」という名前の看板が目に付く。
中でも「花山乃湯」という銭湯の看板には惹かれた。汗と雨に濡れた体なので、ちょっとだけでも湯に入って帰りたかったけど、先を急がないといけない。

そうこうする内に花山院菩提寺に到着。

県道49号線から山門までの道は、かなり急な上り坂。一応ビデオに映像を残してますが、これって帰りはどうなるのって位の急で真っすぐな上り坂だった。

話は逸れるけど、ビデオに残っているのだが山門前の駐車場に止まっている白のホンダ・フィットの巡礼さんは、播州清水寺からこの花山院、そしてこの後向かう中山寺までずっとご一緒することになったご縁のある方。
この話は後編で。

ところで、この播州清水寺から花山院菩提寺までのルートもYou Tubeにアップしているので、よかったら見てください。

 


 ▼今回(ナビが)選んだルート
花山院





花山院菩提寺について

西国三十三か所の巡礼は、その発祥は奈良時代初期に遡る。
しかし今の巡礼の形は花山法皇がそのルーツだと言っても過言ではないらしい。

17歳で天皇に即位し、19歳の時に譲位され、さらにほぼ同時期に出家された花山天皇。

その譲位や出家に関しては藤原氏の陰謀があったことは定説だ。
その後、花山院は法皇として畿内を中心に33か所の観音霊場を巡られた。
この巡礼の形が今の西国三十三カ所巡礼として継承されていることは有名な話。

ここ花山院菩提寺は、巡礼を終えられた法皇が長い間、ご自身のお気に入りの隠棲の場所として過ごされた地。
播州清水寺へ登った際にこの地の山上が光り輝くのを見て、この地に定めたと伝わる。

現在、ご本尊の薬師如来を祀る薬師堂の横に、花山法皇をお祀りする花山法皇殿があり、この二つのお堂を本堂としているとのこと。

 ▼花山法皇殿
花山法皇殿

 ▼薬師堂
薬師堂

 ▼ 幸せの七地蔵尊
七地蔵





東光山から見下ろす有馬富士

境内の参拝を終え、御朱印を頂戴しに納経所に伺う途中、ちょうど鐘楼の横あたりから綺麗な景色が広がっていることに気が付いた。
ちょうどその時、ご住職が通られてこの景色の素晴らしさについて解説を下さった。

 ▼ 眼下に今その横を通ってきた有馬富士が見える
東光山


ご住職曰く、「今日は雨で、しかもこの時期は景色が良くないが、晩秋は素晴らしい景色が広がる」とか。

 

「いやいや、今でも十分綺麗ですよ」とか言いながら、この地の秋を一度は体験してみたいと真剣に思った。
(当寺のHPにその美しい写真が掲載されています)

花山法皇はこの地で14年間過ごされたという事らしいが、法皇がこの地を愛された理由の欠片くらいは分かるような気がした。

納経帖と笈摺に御朱印を頂戴し退出する際、ご住職から頂戴した「お気をつけて」の一言が本当にうれしかった。
何故か、この方にまたお目にかかりたい。

初対面で、一言二言交わしただけなのに、人を惹きつける魅力はどこから生まれるのだろう。
西国三十三か所の巡礼を終えたら、結願の御礼にまたこの花山院菩提寺に来てみたい。そう固く誓っています。

山門

では、このあと、中山寺へ向かいます。

(後編に続く)
 
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