(前編、中編からの続きです)
元慶寺に到着
本日の3カ所目の目的地、元慶寺に到着したのは午後3時半を回った頃でした。
建部神社のある瀬田から約30分の道のりです。
ここ山科の地は京都御所から南東の方向に約9kmのところにありますが、今でこそ京都・大阪のベッドタウンとして栄えていますが、「山科」という地名が示す様に昔は山の中腹から麓の静かな地域であったようです。
元慶寺は花山法皇落飾の地
話は変わりますが、第65代の花山天皇は17歳の時に即位しますが、19歳の時に側近の陰謀によりその意に反して譲位および出家させられたのですが、その落飾の地がここ元慶寺です。
これにより出家した花山天皇は法皇となり観音霊場での熱心な修行を行うことになります。
この花山法皇の観音巡礼こそが「西国三十三所巡礼」として現在でも継承されているわけです。
この花山法皇の観音巡礼こそが「西国三十三所巡礼」として現在でも継承されているわけです。
なお、この元慶寺のご本尊は薬師瑠璃光如来であり観音様(観世音菩薩)ではありません。
しかし、現在の西国三十三か所の観音巡礼の始まりが花山法皇であり、その落飾の地である元慶寺は花山法皇の宸影を安置することから、西国三十三か所の番外札所として多くの方が巡礼に訪れます。
しかし、現在の西国三十三か所の観音巡礼の始まりが花山法皇であり、その落飾の地である元慶寺は花山法皇の宸影を安置することから、西国三十三か所の番外札所として多くの方が巡礼に訪れます。
バイクで来てよかった!
さて、西国三十三か所巡礼の一環として訪れたここ元慶寺ですが、バイクで来てよかったと思える場所です。
西国三十三か所の寺院は観光地としても有名なところが多いので、周辺道路は広く、アクセスも分かりやすく、駐車場などにも困らないことが大半ですが、ここ元慶寺は少し事情が違いました。
ナビが無かったら間違いなく到達できていなかったと思うような、田舎(失礼!)の中の生活道路から少し路地を入った先にある寺院でした。
勿論、案内掲示板なども無かったような気がします。(これは今日訪れた三井寺や建部大社とは決定的に違うところです)
自動車で来ている人や、バスの巡礼ツアーで来ている人もいたので、決して不可能ではないのでしょうが、始めて来る一人旅としては、改めてバイクの機動性の素晴らしさを感じました。
さあ、帰ろう
香華などの札所での各種の作法、そしてお経を唱え納経帖と笈摺の御朱印を頂くのには、やはり最低30分は要します。
結果、この元慶寺を辞したのは午後4時を少し過ぎた頃でした。
この元慶寺からすぐのところに、往路で使った阪神高速京都線の山科インターがあります。
ここを通れば、帰りも約40分で自宅のある東大阪まで帰れることは間違いありませんし、ナビもその様に考えてくれたようです。
しかし、せっかくここまで来たし、帰りは急ぐ旅でもありません。
ロングスクリーンの効果も十二分に確認できたし、高速を使うことは止めて、山科から伏見や桃山を抜け、国道一号線バイパスである第二京阪道路で帰宅することを選択しました。
この第二京阪道路は、私が往路で使った高速道路部分と、その高架下を走る一般道路(これが国道一号線のバイパス機能の道)との総称ですが、今回の帰路で選択したのがこの一般道路部分。
▼山科からの帰路
結果これが正解でした。
途中で雨がパラパラと降り始めたのと、高速道路においては横風注意の注意掲示があり、これにより、第二京阪自動車道の利用は断念。
しかし、第二京阪道路の一般道路部分は、大阪門真までの道の中でも相当な区間で高架下を走るのでもし雨が強くなってもその影響は最小限にできます。また強い横風に怖がる心配もありません。
しかし、第二京阪道路の一般道路部分は、大阪門真までの道の中でも相当な区間で高架下を走るのでもし雨が強くなってもその影響は最小限にできます。また強い横風に怖がる心配もありません。
無論、時間はかかりますが、結果として自宅到着は5時10分。
高速道路利用と比較して、実質的なビハインドは30分以下だったので大正解だったと自己満足しています。もっとも…この後、雨は降りませんでしたが。
高速道路利用と比較して、実質的なビハインドは30分以下だったので大正解だったと自己満足しています。もっとも…この後、雨は降りませんでしたが。
今回の巡礼ツーリングでは、バイクの運転においても、巡礼先においても大満足を得ることが出来ました。
これも神仏のご加護と有り難く受け止めています。
次回はお盆明けになると思いますが、今からどこへ行こうかと楽しみにプランを練っています。
(おわり)
(おわり)