こんにちは。
久しぶりのブログですがよろしくお願いします。
今回は、大好きだったおばあちゃんが残した西国札所の御朱印帖の話です。
祖母の古い御朱印帳
先日、妻と二人で仏壇の引き出しを整理していたら、西国三十三所の古い納経帳(御朱印帳)が出てきました。
でもその納経帳には、1ページだけ御朱印が無かったのです。
つまり、一カ所だけは参拝していないという事になります。
つまり、一カ所だけは参拝していないという事になります。
どんな理由があったのかはよく分かりませんが、もしかすると祖母もこのことが心残りだったのかもしれないと思い、その1ヶ所を僕が参拝し、その納経帳を完成させることにしました。
西国巡礼の番外札所・元慶寺
西国三十三所は、青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)が第一番の札所で、華厳寺(岐阜県揖斐川町)が結願の第三十三番の札所となっています。
そして、これら三十三の札所以外にも「番外の札所」という寺院が3ヶ所あります。
祖母が行けなかった寺院とは、この番外札所の一つ・元慶寺(京都市山科区)でした。
祖母が行けなかった寺院とは、この番外札所の一つ・元慶寺(京都市山科区)でした。
ということで、梅雨の合間の6月27日、元慶寺参拝に出かけてきました。
東大阪市から中央環状線、第二京阪道(一般道)、竹田街道などを経由して約45㎞の距離、1時間強の所要時間です。
御朱印が埋まりました
元慶寺は住宅地の中にあります。
周辺道路は近隣住民の方の生活道路だし、参道も狭かったです。バイクで来て正解でした。
元慶寺は他の西国札所のお寺と比較すると小さなお寺でした。
応仁の乱の戦火によって伽藍が消失し、以来境内は小さくなってしまったそうです。
そして時期的なものあるのか、僕が境内に入った時は他の参拝者はいませんでした。
でもその分、おばあちゃんへの万感の思いを込めてお参りすることがができました。
そして一応の読経を終え、寺務所で御朱印を頂いて、約半世紀ぶりにこの納経帳のページがすべて埋まることとなりました。
たった一カ所で御朱印を頂いただけなのに、何故か凄い達成感でした。
おばあちゃん、喜んでくれたら嬉しいですけどね…
供養になったかな…
ちょっと家族の細かい話になりますが、この祖母と僕には血のつながりがありません。
僕の祖父と祖母には子どもが生まれなかったので、祖父は自分の妹の娘(=姪)を養女に迎えました。それが僕の母です。
なので、祖父と僕との間には血のつながりがありますが、祖母と僕にはそれが無いのです。
それでも祖母はホントに僕を可愛がってくれました。
亡くなってから今年で40年ですが、幼い頃の事は鮮明に記憶に残ってます。
おばあちゃん孝行は何も出来ないまま祖母は亡くなったことがずっと心残りでした。
今さら孝行でも無いのですが、今回の事が少しでも祖母の供養になったらいいなと思ってます。
自己満足が極まりない話で恐縮ですが、梅雨空の中、少し晴れやかな気持になりました。
(おわり)