今回は「鈴鹿サーキット」をテーマにブログを書いてみようと思う。
実は、「鈴鹿」には公私ともにいくつかの思いがある。
やっぱり「F1」
80年代、この頃を思い出すとき、F1なくしては語れない。
深夜のフジテレビの放送にくぎ付けになり、ホンダと中嶋悟の活躍に拳を突き上げて応援していた。
当時は、超が付くほどのホンダフリークで、「プレリュード2000XX 4WS」に乗っていたし、ホイールは無限製で、タイヤはグッドイヤーを履いていた。
そして、リアガラスに「Powered by HONDA」のステッカーを貼って、自分なりにホンダF1チームを応援していた。(今でも、軽自動車はホンダ車に乗っている)
1989年の鈴鹿でのF1グランプリは、このプレリュードに乗って見に行ったのだが、そのいくつかのシーンは今でも目に焼き付いている。
「サーキット走行」の経験
大学を卒業した後に、某企業(某清涼飲料の会社)に20年間務めた。
その会社で最初に経験した業務はトラックでの製品配達で、当時は男性の新入社員全員がまずはその仕事に就くのだが、私は2年間担当した。
学生時代にはトラックなど乗った事ないので、運転に不安で一杯だったが、そんな僕たちをしっかり訓練してくれたのが、鈴鹿サーキットに隣接するホンダが経営するドライビングスクールだった。
実際に乗る2tトラックを使って3日間その運転技術をしっかり叩き込んでいただいた。
そして、この研修を無事に修了すると、信じられないご褒美が与えられた。
それは、鈴鹿サーキットの国際レーシングコースをシビックで走行させてもらえるというものだった。
中嶋悟がアウトからぶち抜いた第一コーナー。
伝説のライダー・デグナーが転倒したデグナーカーブ。
高速コーナーの130R。
そしてセナとプロストが接触したシケイン等、実際に走ることができた。
その後、本社勤務に異動したが、この時の経験は忘れられない。
そして「8耐」
これは島田紳助さんの8耐チャレンジにより興味を持ったことが大きい。
この8耐紳助チーム(チームシンスケ)のチャレンジは、1988年に「風よ、鈴鹿へ」というタイトルで本が出版され、またドラマ化された。
その時に8耐というレースのことを初めて詳しく知ったのだが、時が流れバイクからも遠ざかっていた時期は8耐のことも記憶から離れていった。
しかしその後、務めていた会社が8耐の冠スポンサーになったことで、毎年このレースの記事や放送には注目はしていた。
サザキヒロシという歌手に魅せられた現在
ただ、決定的に8耐を自分の中で蘇らせてくれたのは、「サザキヒロシ」という存在だった。
サザキさんは滋賀県大津市出身の歌手で、テレビ、ラジオ、ライブなどで活躍しておられる。
彼のニックネームは「シンガーソングライダー」
バイクに関する曲を自作自演するシンガーで、「ライダー」として全国を飛び回っているすごい男だ。
そのサザキさんが作った曲に「8耐」という曲がある。
この曲は関西ローカルの「Like a Wind」というバイク番組のエンディング曲として長い期間流れていた。
8耐ライダーたちを応援する美しいバラード曲だが、この曲に惚れ込んでしまったことは、僕が改めてバイクに乗ることを決意させてくれた第一のきっかけと言っても過言ではない。
このサザキさんは、色んな活動をしている。
またこのブログで紹介していきたいと思うが、バイクで全国各地を訪問し、100日で10000人に歌を届けるというプロジェクトにかつて取り組んでいた。
その時の記念Tシャツが復刻版として発売されたので、即購入した。
これを着て、明日の酷暑の中、チェッカーを目指して走りぬくライダーたちを心から応援したいと思っている。
(おわり)