再開の章 最終話です
四国遍路をバイクで再開するという一つの目標をクリアできたことの嬉しさが大きすぎて、たった二日間の出来事を5回に分けて書くという大袈裟なことをやってしまった。
全てお付き合いくださった方に心から感謝を申し上げたい。
さて、最御崎寺を出てフェニックスの木をサイドに見ながら次の津照寺(25番)に向かって走るところから話を始めたい。
津照寺までは6kmの距離で、10分程度で到着する。
ここで気づいたのだが、お腹が空いた。時計を見ると11時30分。
7時前に薬王寺の宿坊で朝食を摂ってから既に5時間近く経っている。
室戸岬周辺にはレストランやカフェがあったようだが戻るのは嫌なので、この先に何か食べるところがないかをネットで探してみたら26番の金剛頂寺の近くに道の駅があるみたい。
考えてみれば四国に来てからいくつもの道の駅を通り過ぎてきたが、一か所くらいは寄ってみたい。
もしかするといい土産物が見つかるかもしれない。
津照寺に到着
程なくして津照寺に到着した。ここもかなりしっかり覚えていたが、それは長い階段の存在。
太龍寺、平等寺、薬王寺、最御崎寺で長い急な階段を登ってきたので、普段の運動不足が我が足をパンパンにさせている。
そんな中、津照寺の長い階段のことはずっと気になっていた。
しかし、これを登らないわけにはいかないし、ここを終えたら昼食にありつける。
こんなささやかなモチベーションを糧に本堂へ向かった。
津照寺の参拝を終えて境内から出てくると目の前にハーレーの軍団がたむろしている。
プレートナンバーは長崎だったので、声をかけてみたら殆ど無視された。
長崎からのツーリングの長旅を労いたいだけだったのに。
僕の友人でハーレー乗りは3人いる。
その中の二人は同級生で、マジェスティ乗りの僕をツーリングに誘ってくれる。
まだ実現してないけど、ハーレーとマジェスティの組み合わせって、それはそれで素敵じゃないですかね?
お遍路さんの読経の中で十善戒というのがあり、その中に「不悪句」という言葉が出てくる。
これは他人の悪口を言わないという戒めのことだが、このハーレー軍団の態度にはこの「不悪句」を一瞬忘れそうになった。
こんな腹の虫には、やはり食事が特効薬である。
そんな事を思った瞬間、目の前に食堂の看板が目に飛び込んできた。
見れば「お遍路さん大歓迎」と書いてある。
この時点でちょうど正午だったので、道の駅を待たずにここで食事をとることにした。
そして、高知県ではお約束のカツオのたたきを注文。
この食堂の裏手は室津港なので魚が新鮮でない訳がない。
実際出てきたカツオたたき定食は本当に美味だった。
続いて26番の金剛頂寺へ
お腹が一杯になって元気が出てきたところで次の金剛頂寺に向かう。
ここも近くにあり、バイクで15分程度の距離。
最御崎寺、津照寺共に海を間近に見下ろせる場所にあるが、ここは少し山の上にある。
そして、やはり階段がある。そろそろ右の股関節が悲鳴をあげてきた。
バイクの停止状態から走行を始めて、その際に右足をステップに乗せる。
その足上げが辛くなってきたほど。これはバイク乗りにとっては致命傷 だ。
歩くだけじゃなく、階段を上る運動をしておかないと益々体が硬くなっていくようだ。
さて観光地である室戸岬近くの最御崎寺や津照寺とは異なるせいか、ここ金剛頂寺の参拝者は極端に少なくなったように感じる。
その分、ゆっくり読経することができる。
そして帰宅の途に
金剛頂寺の参拝を終え駐車場に降りてくるとコンテナを改造した売店があった。
考えたら毎日最低5杯は飲むコーヒーを今日はまだ飲んでない。
昼食後もそそくさと店を出たので、満足な休憩もとってなかったからここでコーヒーを飲んで休憩することした。この時点で午後1時半頃。
ここのママさんと話している内に、この後どうするかを考えなくてはいけないと感じた。
まだ1時半だけど、されど1時半。
次の27番・神峯寺まで行くか、それとも大阪に向かって帰るか。
行けば徳島周りの帰路ではなく、高知市内から高知自動車道そして高松自動車道を通って、高松港を19時に出発するフェリーに乗ることになる。このフェリーの行き先は神戸港だ。
神戸からさらに阪神高速道路を使っても帰宅は深夜になる。
しかし神峯寺まで行けば次回がスムーズになる。
そんな時、妻からLINEが入った。
「そんなに遅くならないのなら、みんな(家族)で焼肉でも行かない?」というもの。
この言葉で気持ちは急に帰宅に傾いた。
今なら16時30分発の和歌山行きのフェリーに間に合う可能性が高い。
ナビゲーションも徳島港フェリーターミナルの到着予想時間を午後4時10分と示している。
仮にフェリーに乗り遅れても休憩しながら淡路島経由で帰れば8時頃までには帰れるだろう。
いずれのルートでも午後8時になるよとLINEを返したら、OKのスタンプが送られてきた。
方針が決まればあとは行動するだけ。
来た道を延々と走ること2時間半強。
出航にギリギリ間に合う形で和歌山行きフェリーに乗ることができた。
あっ、考えたら道の駅には寄ってなかった。
土産も買ってない。
こりゃまずい、と思いながら、自分が無事で帰宅することが土産そのものだ!
って自分自身に言い聞かせて、同時に言い訳も考えている。
どうせ、焼肉は僕が払うのだから、それを土産代わりにしてもらうことにしよう。
お陰様で無事に帰宅できました
和歌山港着岸は定刻の午後6時半。ここから阪和自動車道を通って自宅のある東大阪に向かう。
予想していたことだが阪和道も風が強く、特に堺〜松原では一瞬ハンドルを取られるかの如く強い風が吹いた。
こんなところで事故れるか!と思いながら、ビッグスクーターの限界も知ることとなった。
カーブでバンクしてアクセルを捻るとリアが流される気がする。
そういう乗り方をするバイクではないが、それを必要とする場面も出てくる。
どっちにしても安全運転が大切。色々葛藤しながらの帰り道となった。
そして午後8時過ぎに無事に帰宅。
色々後片付けを済ませて夕食の焼肉に舌鼓を打ったのは、午後9時近くだった。
今回の四国遍路ツーリングは総合的にかなり充実したものになったが、一方で課題も明確になった。
安全かつ快適に遍路を完遂するためにやらないといけないこと、心掛けないといけないことが様々にわかった。
次回の四国遍路ツーリングは来春になるだろう。
まとまった休みを確保するのは当分無理だろうし。
それに次は高知市内から足摺岬を経て松山市あたりまで行きたい。
でも冬の石鎚山周辺は車でも難しいから、次の遍路は雪の心配がなく気候の良くなった頃に、完璧な準備をした上で臨みたいと思う。
最後に、今回の「再開」は本当に充実した2日間だった。
お世話になった方々、バイク旅を心配して下さった方々に御礼を申し上げます。
そしてこのブログに付き合ってくださっている方にも感謝です。
ありがとうございました。
(四国遍路ツーリング「再開の章」 おわり)