聖地巡礼のバイク旅

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旅の日記「 博多祇園山笠と太宰府天満宮」



後編はやっぱりこのブログらしく「巡礼」に関して書くことにする。



博多祇園山笠

博多に住んでいた時の思い出は、本当にたくさんあるけれど、「博多祇園山笠」に参加させて頂いた思い出は一生忘れない。

中州の東側、博多のど真ん中とも言える場所に鎮座する「櫛田神社」

博多総鎮守と称される歴史ある神社だが、この神社が全国的に有名なのはやはり「博多祇園山笠」の存在だろう。
博多祇園山笠とは、この櫛田神社の夏季例祭に合わせて実施される氏子連中による奉納行事のことを言う。

7月に入ればこの町は祭り一色になり、例祭日の15日にクライマックスを迎える。

山笠には、
10メートル以上の高さを誇り豪勢な飾りに彩られた「飾り山」と
3メートル程度だが戦国武将などの人物をモチーフにた飾りを施した「舁き山」の
2パターンがある。

(以下は上川端通の「飾り山」 しかしこれは「舁き山」でもある)
集合(山前)


飾り山は地域各所に展示され、地域住民や観光客の目を和ませる。
舁き山は祭りの期間中、数住人の博多っ子たちに担がれ地域各所を威勢よく走り回る。

いずれも、毎年、祭の前に建造され、祭が終了すると即刻解体される。

山笠の展示、そして巡行は地域の厄を祓うという意味があり、京都の祇園祭における山鉾巡行とも同じ意味合いである。(夏の祭りは疫病を流行らせる怨霊を退散させる祭りなので)




追い山の疾走

さて、この15日のクライマックスでは「追い山」という名称であり、午前4時59分に始まる。

櫛田神社の入り口付近に待機した舁き山は、合図とともに一旦は櫛田神社の境内に入り広場を一周する。
(これを櫛田入りという)。

櫛田下見2

その後、定められたコースを30分以上も全力疾走し洲崎町のゴールを目指す。
実はこの追い山はタイムレースなのだが、山笠(舁き山)の重量などに特段の制限はない。
このあたりの大らかさは、焼酎のロックと水割りの話とも通ずるような気がするのは私だけか。

何はともあれ、この追い山の迫力はだんじり祭りとも共通するものが間違いなくある。
いずれも神様への奉納行事だし、各町の威信を賭けて山車を曳き回す。

博多の女が山笠を舁く男たちに惚れるというのもだんじり祭りと同じ構図だろう。
私は会社からの紹介もあり、この博多祇園山笠、そして追い山にも参加させて頂いたのだが、正直言って、怖さを感じた。

だんじり歴は数十年だが、その経験も山笠の前では赤子のようなものだった。
(祭りの質が違うので、それは当然と言えば当然だが)




櫛田神社

ちなみに私を参加させてくれたのは、櫛田神社のお膝元である上川端通の山笠である。
前述の通り、山笠は飾り山と舁き山に大別されるが、櫛田神社のお膝元である上川端通は飾り山の街である。
しかし、これを担いで走る習慣があるのだ。

元々は飾り山を担いで走っていた祭りだが、10メートルという高さは電線に触れることも多々あり、それを切断してしまう事もしばしばだったとか。
そうした経緯で、飾る山と舁く山とに分かれたらしい。

そんな中、上川端通(上川端「流(ながれ)」というが)では、今も飾り山を舁ぐのだ。勿論、タイムレースには参加しないし、ルートも他の舁き山とは異なり距離は短い。

しかし、重さは2トンを優に超える飾り山である。
ちょっと担いだだけで腰にずっしり来るし、肩はパンパンに腫れ上がる。

今回、久しぶりの博多だったが、櫛田神社を訪れることが出来たのは夜の時間帯だけだった。
本来、正月や例祭の時以外は夜間に参拝するなんて神様に対しての失礼極まりなく、冒涜ともいえる行為。

しかし、久しぶりの博多訪問なのでお許しくださいと願いながらあの時の感謝の念で手を合わせた。
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太宰府天満宮へ

今回の博多出張は、実は仕事の時間は月曜日の午前中だけだった。
仕事場所は博多より西に電車で30分ほど移動した場所だったが、午後は全く時間が空くので太宰府天満宮を参拝することを以前から決めていた。

移動に結構な時間がかかり、現地に到着したのは午後3時近くだった。
大宰府7


通常、神社を参拝する際は午後2時くらいまでに行くのが望ましいと聞いたことがある。
せめて午後4時までが限界であるらしい。
したがって3時はギリギリということになるが、何とか間に合ってよかった。

大宰府に祀られる菅原道真公の話は必要ないだろう。

菅公は903年にこの地で失意の中で人生を終えるが、墓所を建立した後に同じ地に社殿を建て、神様(天神様)として祀られるようになった。
大宰府6


つまり、この太宰府天満宮は神社でもあり、菅公の墓地でもあるという事になる。
学問の神様として有名な菅公だが、家柄もさることながら、実力で立身出世した実績を尊びたい。

「天満大自在天神(いわゆる天神)」として祀られるに至った経緯については色々と語られており、これ(神として祀られること)は本当に菅公の遺志だったのかどうかは分からないが、年間で700万人もの参拝者達が「あやかりたい」と思うのは当然のことながら頷ける。


「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
あまりにも有名な菅公が詠んだ和歌。その主題である「飛梅」
大宰府2

大宰府5




福岡・博多編の最後に

西鉄の太宰府駅から境内までは土産物屋街で繋がっている。
色々な土産が売られているが、絶対に買おうと決めていたものがある。

それは「梅が枝餅」。
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http://www.kasanoya.com/

「小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅」だが、これが実に美味い。これにバターを塗って食べると(当然、カロリーはハンパないが)美味さは倍加する。

騙されたと思って一度試していただきたい。



「旅先より Vol.2 福岡編」  おわり

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