こんにちは、今日もご訪問ありがとうございます。
前回のブログで泉州・二色浜へお弁当プチツーへ出かけた時の話を書きましたが、今回はその続編です。
我が地元(東大阪市の某地区)にもだんじりがあり、秋祭りで地域内のだんじり曳行をしています。
僕も生まれつきその文化にどっぷりつかって生きてきた人間ですが、やはり岸和田のだんじりは別格中の別格として畏敬の存在です。
僕も生まれつきその文化にどっぷりつかって生きてきた人間ですが、やはり岸和田のだんじりは別格中の別格として畏敬の存在です。
つまり僕にとって(多分、僕だけじゃないと思いますが)は、岸和田はだんじりの聖地と言うべき場所なのです。
近世の岸和田城の城郭は戦国時代に整備されたようで、当初は5層の天守閣がそびえていたとか。ただ、1800年代に落雷で焼失し、現在の3層の天守閣は昭和29年に再建されたものだそうです。
ところで、岸和田だんじり祭りの発祥は、ここ岸和田城(三の丸)だという伝承があります。
ところで、岸和田だんじり祭りの発祥は、ここ岸和田城(三の丸)だという伝承があります。
お城は間違いなく、岸和田市のシンボルでしょうし、だんじり祭りの起源も城内の神社にあるということでやはりここは聖地中の聖地なのでしょう。
岸和田だんじり祭りを象徴するシーンの一つが「こなから坂のやりまわし」。
映像や写真で、だんじりが急坂を駆け上がり、その最後に一気に方向転換するシーン(この方向転換をやりまわしと言います)をご覧になった事はあるんじゃないかと思います。
▲YouTubeから引用
だんじり祭りの間も、このルートは宮入をする際の一回のみで、岸城神社へ宮入りするだんじりしかここを通ることはありません。
ところで“こなから”は、漢字では「小半」と書きます。
これは半分のさらに半分という意味で、90度の半分の半分、つまり20度以上の傾斜のある坂という意味らしいです。
実際、今はそれほどの急坂ではありませんが、明治になって廃城になる以前は、小半の名に違わぬ急な坂だったようですよ。
(おわり)