■ 第7番・国分寺の話をする前に…
太融寺の最寄り駅は大阪市営地下鉄・谷町線の東梅田駅。
ちなみに谷町線の「谷町」は相撲などで良く用いられる「タニマチ」の語源になった地名ですが、そんなことはどうでもいい話。
ちなみに谷町線の「谷町」は相撲などで良く用いられる「タニマチ」の語源になった地名ですが、そんなことはどうでもいい話。
この東梅田駅から北に二つ目の駅が「天神橋筋6丁目駅」で通称は“てんろく(天六)”と言います。
この天六からすぐのところに第7番札所の国分寺があり、太融寺に続いて向かった札所はここなのですが、もうちょとどうでもいい話を少し続けます。
大阪では、上本町六丁目は「うえろく」、谷町九丁目は「たにきゅう」、そしてこの「てんろく」など地名と丁目名とを引っ付けて短縮して呼ぶ習慣があるという話です。
個人的に面白いと思うのは、日本橋(“にほんばし”ではなく、“にっぽんばし”)1丁目です。
千日前通りと堺筋(日本橋筋)が交差する交差点がこの日本橋1丁目なのですが、この交差点の通称は「日本一(にっぽん・いち)」です。どうですか、面白いでしょ?
▼"日本一"交差点
■ さて、国分寺(7番)の話です
太融寺から一旦西に向かい、新御堂筋の高架下を北上、そして堂山町(かつては太融寺の境内地だった場所)の交差点を右折し、通称・都島通りを北東に向かうとほんの数分で天六に到着です。
学生の頃、この天六にはよく来ました。
日本一長い商店街である「天神橋筋商店街」のノースエンドがこの天六で、鰻、寿司、お好み焼きなどの知られざる名店がここにはたくさんあって、美味い割には安い店も多かったので、学校の帰り道にここで降りて、よく飲み食いしたものです。
この天六交差点をさらに少しだけ東に進むと左手に国分寺があるのですが、その時は全く知らなかったというか、寺社巡拝なんて何の興味もなかった時代ですから当然と言えば当然ですが、近畿36不動尊そしておおさか13佛霊場の札所である古刹ともいうべきお寺がこの天六にあったのですね。
■ 様々な霊場巡りの札所になっている国分寺
当寺の前まで来ると、朱塗りの鐘楼堂が目に飛び込んできます。そしてその隣に山門があるのですが、ここから出入りしないように柵が設けてあって、左手の南門から入山させて頂きます。
すると左手にお大師様の立像があって、これが大師堂になっている様子。
その隣にお堂があって、ここには阿弥陀如来や勢至菩薩(おおさか十三佛札所)が祀られています。
本堂は社務所を挟んでその隣にあり、ここにはご本尊の薬師如来(摂津八十八か所、西国四十九薬師霊場札所)が祀られています。
不動堂(護摩堂)はその前、つまり山門を入ればすぐ右側にあるのですが、お不動さんのご本尊はこの護摩堂の裏手にいらっしゃいました。
護摩堂にその案内があったので良かったのですが、知らなかったら見落とすところでした。
■ 不動明王の真言と御朱印
一通り読経を終えて御朱印を頂きに行った際、ご住職からご案内を頂き、札所としての御朱印とは別に以下の御朱印を授与して頂きました。
▼札所の御朱印
▼不動明王の真言を書いた御朱印
不動明王の真言を近畿36不動尊巡礼専用の御朱印用紙に記入の上、御朱印を押印してくださるのです。
価値の感じ方は人それぞれだと思いますが、大変珍しいというか、間違いなく貴重なもので、他の札所では望んでも手に入らないのではないかと思います。
ご住職は「押し売りしたみたいやな」なんて仰っていましたが、言って下さって本当に有り難うございました。
■ 栄枯盛衰を感じながら豊中へ
国分寺に到着したのは午後2時過ぎで、とにかく空腹でした。
天六には母校の施設があったので、昔ここによく来たのですが、その時に時々行った食堂は今もあるかな?と淡い期待を抱いて行ってみましたが、既に無くなっていました。
そして、その施設も今は無く、マンション?の建設現場となっていました。
よくある話ですが、多くの学生が往来すると食堂やゲーセンなどは大流行りするのでしょうが、その学舎が無くなったことで人通りも激減したのでしょう。
結果、街の姿も大きく変わるということですね。栄枯盛衰ということでしょうか。
そんなことを考えながら、そして既に空腹の事は忘れながらこの日の最後の目的地・不動寺(豊中市)へ向かいました。
■ 戦災により豊中に移転した不動寺
この不動寺は今は豊中にありますが、以前は兎我野町にあり、言わば太融寺と隣り合わせのようになっていたそうです。
それが戦争により焼失し、一旦は兎我野町で再建したもののいろいろ問題があって現在の豊中の地に移転されたそうです。
実際、行ってみると不動寺の本堂は近代的な建築物で、境内も整然としていることに驚きました。
そして驚いたのは本堂の内部。写真を見て頂くと一目瞭然です。
実際にご本尊は階上にいらっしゃるらしいのですが、我々は階下から壁に書かれたお不動さんのお顔と、踊り場に設けられた小さなお像に向かって手を合わせます。
これがこのお寺のルールらしいので、それはそれで従うだけなので当然ことながら不満はありませんが、他と勝手が違うので正直申し上げてちょっと戸惑いました。
ただ、今後はこのような近代建築の寺院は増えていくのでしょうね。
この日の予定はこれで終わり。
一日、間をあけてこの翌々日は神戸方面の札所を巡ったのですが、これはまた日を改めて書こうと思います。
今回も最後まで読んで頂き有難うございました。