聖地巡礼のバイク旅

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「自然と歴史とフードファイトの旅3」(完結編・駿府~浜名湖)|旅の日記26

(第2話からの続編となります)

▶第2話はコチラ

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次の目的地は駿府

2日目の午後は静岡市内に向かい、日本平の見学や久能山東照宮の参拝を経て、この日の夜は静岡市内に宿泊する予定だ。

ちなみに、静岡市の中心地区はかつては「駿府」と呼ばれていた。駿府とは「駿河府中」の略だが、駿河とは旧国の一つで現在の静岡県の中央部分にあたる地域のことだ。そして府中とは旧国にそれぞれ置かれた政庁所在地を指す。

  • 現在の静岡県は、旧伊豆国、旧駿河国、旧遠江国で構成されている。
  • ただ、現在でも旧国名の一部と府中の府を組み合わせて「〇府」と読んでいるのは駿府だけかもしれない。(現在の山梨県甲府市は甲斐国の府中ではなかったらしい)

駿府は、かつて徳川家康が将軍職を3男の秀忠に譲った際に自身の隠居場所として城を構えた場所だが、ここは東海道の交通の要衝であった。

家康が亡くなった後は、その息子の徳川頼宣(8代将軍吉宗の祖父)が駿河国を治め、その頼宣が紀州に転封になった後には秀忠の息子(3代将軍・家光の弟)である徳川忠長の所領となった。

忠長はその不行状を咎められ改易・所領没収となったが、その後は幕府の直轄地として幕末まで続いた。

江戸時代の駿府は、江戸や上方に次ぐ大都市であったらしい。

 

その駿府へは、主に高速道路(新東名など)を通っていくのだが、その途中でようやく富士山の全貌を拝むことができた。

これまで、新幹線の車中から、あるいは飛行機から富士山の美しい姿を見たことはあるが、これだけ近くで見れたのは初めてのことだ。

5合目あたりに雲がかかっているが、これはもう仕方がない。これだけ見れれば十分だ。

 

 

久能山東照宮

実は、僕は歴史上の人物の中で徳川家康を最も尊敬している。ファンが多いとされる織田信長よりも、地元大阪に城を築いた豊臣秀吉よりも徳川家康が好きだ。

彼に対しては色々な批判もあるだろうが、武将としても政治家としても尊敬に値すると思っている。

その徳川家康が75歳で亡くなったあとに埋葬された場所が、彼が住んでいた駿府城から近い「久能山」であり、後に彼が朝廷から「東照大権現」の神号を与えられた際にここに神社が建てられた。それが久能山東照宮である。

その久能山東照宮参拝は長年の夢だったので、今回の旅行でそれが叶うことになり大いに楽しみにしていた。

なお、東照宮と言えば日光が有名だが、久能山東照宮は日光より先に造営されているので、オリジナルはこちらと言えるのではないかと思う。

本当は、久能山東照宮と日光東照宮との関係を私見を交えて述べてみたいのだけど、それをやると長くなるのでここでは割愛することにさせて頂く。

 

 

位置関係と神号への興味

徳川家康は、自身の死後すぐに久能山に自らを埋葬し、その1年後には日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ることを指示した。家康は、日光山に自分が祀られることで「関八州(関東地方のこと)の鎮守となる」と遺言したと伝わる。

実際、日光東照宮は江戸の真北にあり、陽明門の真上には常に北極星が輝いている。ここから関東平野を見下ろせるので幕府のある江戸と、そこを中心とした関東を守ることで徳川家を長く守護することを考えたのだろう。



面白いのは久能山との位置関係で、久能山と日光を結ぶラインには富士山があることだ。また、久能山と京都とを結ぶライン上に、徳川家(松平家)の先祖代々の菩提寺であり歴代将軍の位牌が置かれている大樹寺(愛知県岡崎市)がある。

そこにどんな意味があるのかは分からないが個人的にはかなり興味深い。

もう一つ「東照大権現」の神号にも注目したい。

日本国で最高の神様と言えば伊勢神宮に鎮座する天照大御神だろうと思うが、この神号は「天下(国家)を照らす神=太陽神」という意味だ。

一方、徳川家康は「東照」となっているが、これは「東から日本を明るく照らす」という意味らしい。

日本の最高神に対抗した名前が付けられたというのは、当時の徳川家康の権勢が如何に凄かったかと想像できる。

 

さて久能山東照宮へは、下から行くと1000段を超える階段を上っていくことになるのだが、バスで日本平の駐車場まで連れて行ってもらい、ロープウェイで下る形で訪問した。

その日本平へ向かう途中にも、バスの車窓から遠くに富士山がしっかり見えた。

機会があれば、バイクでここへ来て富士山をバックにバイクとのツーショットを撮ってみたいと思う。

 

 

楼門と獏

さて、久能山東照宮を参拝させて頂いた。

ロープウェイ駅から階段を降りると東照宮のエントランスがある。ここで御守やご朱印を授かることができる。

そこから階段を上ると楼門がある。

楼門には有名な獏の彫刻が確認できた。獏とは夢を食べる想像上の動物と知られていることが多いように思うが、東照宮では鉄を食べる神獣として扱われている。

太平の世には、鉄砲の玉も刀も不要ということで、楼門に獏の彫刻が施され、それら不要な鉄を食べてもらうという意味合いらしい。

 

 

社殿と霊廟

さらに進むと国宝の社殿があり、ここで東照大権現に手を合わせる。

「大ファンです。尊敬しています。力を与えてください」とお祈りをさせて頂いた。

さすがに荘厳な造りであり、見事でカラフルな彫刻に目を奪われた。

昔からだんじり祭りに参加していることで、神社の社殿や彫刻には多少の知識があると自負しているが、当時の最高の技術をもって造られた社殿はさすがに見事だと思った。

そしてさらに階段を登ると最上階とも言うべきステージに家康公の霊廟があった。

家康公が亡くなった直後、ここに埋葬されたと伝わる場所である。

家康公は、ここに埋葬して1年後に日光へ移すべしと遺言したと伝わっているが、遺骸を移したのか、御霊だけを移したのは明らかになっていない。

ただ、論争的には遺骸はここに埋葬されたままであるという説が有力のようで、僕もその説を信じている一人である。

いずれにしても、尊敬する徳川家康公のお墓参りができたことに自分なりの大きな満足感を得た瞬間だった。

 

 

静岡市内でお肉尽くしの夕食

久能山東照宮の参拝をもって2日目の観光は終了し、この日の宿泊地・静岡市内へと移動する。新幹線のぞみ号は停車しない静岡駅だが、静岡市は政令指定都市であり人口も70万人近い都会である。

 

今夜の宿泊はビジネスホテルのシングルユースだが、このホテルには大浴場もあるし、リラックススペースにはマッサージチェアなども置かれてる。これはこれで気楽でいいし、朝食も充実していて美味しかったし、十分に満足させてもらった。

 

さて、今夜の夕食はお肉尽くしである。

地元では有名な「三笑亭」という老舗のすき焼き屋さんでお肉尽くしの料理を頂戴した。

お昼ご飯でも、絶品ローストビーフをたらふく頂いたばかりだが、牛肉は大好きなので、小食の僕でもそれなりに食べられる。

しかも、ここではA5ランクのお肉を食べさせて貰えるということでとても楽しみだったのだが、メインのすき焼きが出てくる前に、なんとステーキが出てきた。

なんというサプライズだろう。焼き加減も塩コショウの加減も絶妙で、とても柔らかく美味しいステーキだった。

そして、これがメインのすき焼きである。

割り下は、ここの経営者しか作り方を知らない秘伝のものと聞いていたので、どれほどの味だろうかと楽しみにしていたが、正直なところ、それはスーパーなどで売っている割り下と「利き割り下」をされたら、おそらく分かななかったと思う(笑)

しかし、さすがにA5ランク牛はとろけて美味しかった。

この2日目は、お昼に肉、夜に肉×肉ときたので、さぞや胃はビックリしていることだと思う。

 

夜の駿府城を見に行く

この2日目の夜は、三笑亭でのすき焼きディナーをもって解散となり、みんなグループに分かれたり、個人個人で夜の静岡市内を楽しむことになった。

僕は、この時点でかなりの疲れを感じていて、ホテルに帰って就寝の床につくことにしたが、せっかくここまで来たので、その前に食後の運動を兼ねて駿府城のお濠を見に行くことにした。

駿府城は徳川家康が自身の隠居城として構えた城だが、当時は3重の堀や江戸城や大阪城に負けるとも劣らない巨大な天守閣が構えられていたことが分かっている。

その駿府城の中堀の南東側にある巽櫓周辺がライトアップされているので、これを見るのが楽しみだった。

ごらんのように時間ごとに光の色が変わるし、お濠の水面に浮かぶ水鏡もきれいで、それも楽しませてもらった。

このあと、城内(駿府城公園)にも入ったのだが、さすがに午後9時では人影もなく、ちょっと怖い感じもしたので入り口付近まで入って退散した。

これを見たあと、早めの就寝とさせてもらった。

 

 

最後のフードファイトは鰻を満喫!

そして最終日は浜松に移動して、浜名湖の畔で鰻料理を楽しんだあと帰阪(東京からの参加組は帰京)する。

この日は、お昼ご飯で鰻を食べること以外はお土産を買う時間がたっぷり設けられているだけで、アクティビティらしいアクティビティは無い。

一昨年、このあたりをツーリングした際、Like a windで紹介された「浜乃木」の鰻丼を食べたのだが、これがとても美味だった。

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その時の思い出が強く、この3日間の料理の中で、この鰻タイムが一番の楽しみだった。

浜松(浜名湖)の鰻は、関東風だ。つまり背開きで捌き、少し蒸してからタレをたっぷりつけて焼くスタイルだが、僕は、蒸さずに焼く関西風よりも、蒸して焼く関東風の方が好きだ。

 

というわけで、この旅の最後の食事がこれ、「はませいのうな重」だ。

取り立てて特徴があるわけでもないのだが、鰻そのものの風味、タレの味、ご飯の味そして硬さ、いずれをとっても「とても美味い!」ことには間違いがない。

 

 

 

エピローグ

解散の場所はJR浜松駅だったが、新幹線の時間まで1時間半くらいあるので、最後のお土産タイムとなった。

妻と娘には「桔梗屋の信玄餅」「箱根ラスク」「鰻パイ」などお菓子系を整えたのだが、やはりメインに乏しい。そこで、最終日には鰻を買って帰ろうと思っていた。

それがこれだ。

値段の細かいことは言わないが、大阪で同じサイズの鰻の蒲焼を買うより2~3割は安いように思う。ボリュームも味も申し分なかった。

何より妻と娘が喜んでくれたことに安堵した(笑)

 

さて、そして3日間に亘ったフードファイトの旅が終わった。

炭火焼で焼く炉端料理、格式高い料亭での懐石、湖畔のレストランでのブッフェ、ステーキ×すき焼き、そして鰻・・・いずれも大いに満喫させて頂いた。

このクライアントとお付き合いを頂いてから7年になるが、納涼会や忘年会、そして数年に一度のこの社員旅行にお誘いいただき、いつも豪華にご馳走になっている。

 

最後に改めてお礼を申し上げ、3話に亘った旅の日記の締めくくりとしたい。

 

(終わり)

 

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